2008年01月13日

篤姫「桜島の誓い」

篤姫「桜島の誓い」

弘化四年、秋。

於一(篤姫)の実家・今和泉島津家は、当主・忠剛がひたすら謹慎し、家政の改革に励んだおかげで、ひとまず窮地を脱しました。

於一が尚五郎と調所広郷の屋敷に出向いたことを、兄・忠敬は知っておりました。

尚五郎、いろいろと口が軽いです。
調所には「偽金作り」の噂もあるらしい・・・。

そんななか、西郷どんが忠剛にお詫びをしにきます。
もとはといえば、西郷どん等が起こした行動が、今和泉島津家のピンチを招いたのでした。

父・忠剛は許しますが、兄・忠敬は・・・・KYでした。

その頃、江戸では調所の「抜荷」と「偽金作り」は老中・阿部によって明らかとされていました。

阿部は当主・斉興の隠居を斉彬に示唆。
厄介なのは調所の処分・・・。

薩摩では、調所が500万両の借金を返済し、なおかつ100万両の貯えをし、藩政を立て直しておりました。

万が一、公儀にバレたときは・・・・

「この調所が背負いまする」

それが自分の役目だと調所は言うのでした。

「囲碁も弱ければ、剣も弱い」と於一に言われた尚五郎。
西郷どんたちを見かけ、立会いを申し込みます。

無謀です。

西郷どんのかわりに尚五郎の相手をしたのは大久保正助でした。
尚五郎、あっという間にやられてしまいます。

尚五郎が肝付家の息子と知って、ひたすら平伏する西郷どんや正助。

あ!正助の母は昨年の姫しゃまのお母さんですね。

真野響子の息子が原田泰造かよ!?

一所持ちと下級藩士の間にはおおきな格差があった薩摩です。

下級藩士の間では調所と、斉興の側室・お由羅への批判が高まっているのでした。

お由羅は息子・忠教(トート・山口祐一郎)を跡継ぎにしようと、斉彬を調伏している、との噂もあります。

涼風真世の息子がトート・・・無理ありすぎじゃありません??

ま、無理を通してしまうのが「大河」のすごいところですが。

って、この時代も調伏に効果があると信じられていたのでしょうか??

斉彬は次々と子を亡くしていきます。

藩内がざわついているなか、於一は調所の屋敷に招かれます。


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「死んでも行きません」

とか言っておきながらついてきている尚五郎です。

調所は、江戸から急な呼び出しを受けたため、一度於一に会っておきたかった、と言います。

お家を支えるのが自分の役目。
その役目を乗り越えて、お互いが手を結ぶ手だてはないのか?と於一に言われ、考えたが、そのような方法は無い。

と調所は語ります。

「天命」という言葉が出てきます。

調所は於一に最後の偽金を渡し、江戸へ旅立ちました。

江戸で、調所は老中・阿部から呼び出しを受け、「抜荷」と「偽金」について追求されます。

「姫、末永く息災でな」

調所はすべての罪を背負って自害しました。

斉彬もすべてを調所に被せてしまった、と

「わしは島津の恩人を殺めてしまったのかもしれん」

と呟きます。

於一は、調所から渡された偽金を桜島の見える場所に埋めるのでした。

於一は調所が好きだった・・・と尚五郎に言います。

それを咎められ

「私の心は私のもの」

と言う於一。

調所の死によって藩内の騒ぎは沈静化する、と思われましたが、なんと斉彬の子がまた死去。

斉彬派の藩士たちは激昂し、騒ぎはますます大きくなります。

斉興は首謀者たち6名に切腹を命じました。

忠剛も斉彬派・・・またもやお家がピンチになるかもしれない、と思っただけで倒れてしまう父上。

「お由羅騒動」はますます大きくなっていく予感です。

まだストーリーを追うのでいっぱいいっぱいです。

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posted by くみ at 22:06
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