2006年11月12日

功名が辻「三成死すとも」

功名が辻「三成死すとも」

『三成死すとも』・・・・自由は死せ・・・違うよ。
『豊臣滅びず』、と続けたいのでしょうかね??
いや、滅びるけど。

三成は捕らえられ、大津城の陣屋の前にさらされました。
三成にちょっかいかけたのは、あれは誰??福島??
細川忠興(玉さま旦那)が何も言わずにただ頭を下げて通ったのが印象的でした。
三成は小早川秀秋を見つけ『呪いの言葉』を吐きます。
この呪いの言葉が効いたんでしょうか??
小早川秀秋、2年後に狂死です。

一豊は三成に陣羽織をかけてあげました。←これ・・・事実は黒田長政だったらしいですけど。

ま、いいや。一豊らしいし。いや・・よくないか・・・。

そこで三成の淀さまへの遺言を託されます。

「徳川を頼ることとなっても、秀頼さまと豊臣を~」(うろ覚え)

家康と三成の対面のシーンは凄まじかったですね。

「さらばじゃ」by家康。



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三成がおとなしく捕らえられた予想を先週しましたが、ま、大体当たってたです(大間違いじゃなくてよかったです)。

大阪へ凱旋した一豊くん。
なにやらむなしさを感じているようです。
久しぶりにでました。

「お命の持ち帰りこそ、功名の種にございまする」by千代。

さてさて三成の遺言を淀さまに伝えようとする一豊くん。

「会いとうない!!!」by淀さま。

は!!あの侍女!!まだいた!!!元気そうで良かった。

そこで一豊くんは千代に淀さまのもとへ行かせます。
最初からそうすればいいのに・・・・。

千代から三成の遺言を聞いて、またも大泣きの淀さま。

自分のかわりに三成の最後を見届けてくれ、と千代に言います。

しかしだ!!淀さま、ちょっと三成の遺言を曲げてとらえているような気がするのは私だけでしょうか??
自分から命を縮めるような発言を三成は望んでいないと思いますよ。
豊臣家はもう一大名に過ぎないのですよ。

豊臣家、400万石→60万石です。

三成は引き回しの上、打ち首となりました。
見物人のなかに一豊くんと千代の姿・・・・。

関ヶ原論功で一豊くんは、

土佐二十万石に!!!

注・最終的に検地したら二十万石らしい。
注・長宗我部氏は九万石と報告していたらしい。

またもや目がまんまるな一豊くん。

見てるか!!吉兵衛!!殿がやったよ!!

一国一城の主です。

けれども浮かれていてはいけません。
土佐は長宗我部氏の支配下だった土地。
反乱が予想されます。

だいたいな~長宗我部盛親(だっけ?)も、東軍と西軍どちらにつこうか迷いながら出陣して、西軍に足止めくらい、仕方なく西軍についたのですから、哀れといえば哀れ。
浪人して、元大名が寺子屋の先生ですよ!!
ああ、転落人生。
大阪冬の陣・夏の陣で大阪城入りして、打ち首に・・・??あれ??討ち死に・・・??
寺子屋の先生でも、生きていた方がいいと思う。←山内夫妻の考え方・・・。

山内一豊、太守としての苦悩がはじまります。

結局のところ、維新まで土佐は山内氏が治めたのだから、最初の土台づくりは成功したといっていいんではないでしょうか??

土佐藩は幕府の外様いじめにも耐え抜いたのですから。

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posted by くみ at 21:35
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