2006年08月06日

功名が辻「この世の悲しみ」

今夜の功名が辻。
「この世の悲しみ」
ティッシュが手離せなかったです。
もう、鼻水が・・・風邪ひいてるから(まだ治りません)、じゃなくって涙が・・・。

一豊一家が長浜城に入って4ヶ月。
おませなよねは玉木・康豊叔父上にドキっとしています。

「そろそろ康豊にも嫁をとらせんといかんの~」

似た台詞を前に聞いたことがありましたね。

「そろそろ新一郎にも嫁を・・・・」
これ、どうなったんでしょうね??

康豊くんはお玉さまを想っているらしいですが、相手は人妻です。
無理です。
や、本人も無理だと承知していると思いますけどね。

さて、一豊くんは秀吉に「家康を説き伏せるよう」に言われます。
織田長益と一緒に。
織田長益って織田有楽斎ですよね。
信長の弟、茶々の叔父。

それにしても一豊くんには無理なお使いですな。

相手は家康です。タヌキです。

無理です。



人気blogランキングへ参加中です。
さてさて、一豊くんと康豊くんをお見送りした後、よねが千代に問題発言です。

「大きくなったら、よねは、叔父上の嫁になりとうございます。」

千代もびっくり!!

少女らしい、可愛い発言ですよね。

あんな叔父上いたら、誰でも思うでしょ。だって玉木宏よ!!

しかし、そんな少女の想いもすべて押しつぶした「天正の大地震」が起こります。
いつになくむずかるよねを突き放した千代。
必死に探した結果は、顔は生きているときのままの、冷たくなったからだでした。
千代は泣きます。
帰ってきた一豊くんも泣きます。

私も泣いてました。

私は父親を亡くしていますが、たぶん、子どもを亡くしたほうが辛いと想います。
子どもいないから、わかりませんけど。


和泉式部の歌にこういうものがあります。

「とどめおきて 誰を哀れと思ふらむ 子はまさりけり 子はまさるらむ」

先立って死んでしまった娘は誰のことが気がかりだったのだろう。きっと子どものことだろう。私だって親を亡くしたときの悲しみより、お前を亡くしたことのほうが辛いのだもの。

娘、小式部内待に先立たれたときの歌です。

そうなんだろうと思います。


長浜修復で京に住むことになった一豊夫婦。
泣いてばかりいてはよねは成仏できない、と語り合います。
お互い、支えあい。

千代はよねのためにつくった小袖を、似合いそうな娘にわたします。

そして、訪れた南蛮寺でお玉さまと再会です。

「強く生きてまいりましょう」

希望が見えました。

この後、史実では夫婦は禅宗に帰依する、となっています。
たぶん曹洞宗。
なぜなら、我が家の墓があるお寺。
一豊くんが寄進した彫刻のある門があるからです。
左甚五郎作、らしいです。

それにしても来週もまた悲劇・・・・。
あまりにも悲劇。


人気blogランキングへ参加中です。






posted by くみ at 22:37
"功名が辻「この世の悲しみ」"へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。