2007年06月11日

風林火山「三国激突」

風林火山「三国激突」

いまごろ「三国激突」

「三国激突」

・・・・・・・・。

激突してなかったよ。

ということで、タイトルはこうするべきだったと思いマス。↓。

「三国激突!!??」←東○ポ風。

最近、大河を見るときはメモをとっていなくて(面倒になってきた)、いざ記事を書こうとしても、「忘れている」ワケです。

だから、土曜日の再放送を見て書こうと思ったのですが、眠りこけていて見れず・・・。

しかし、一週抜くのは「神経質」な自分が許さず・・・。

そんなんでかなりうろおぼえな「三国激突」です。
横道にそれまくってます。


「勘助、わたくしに子ができました」

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ということで由布姫はご懐妊だそうです。
彼女は少し人間が丸くなったようです。
勘助に対してもいままで酷いことをしてきた、と謝ります。
本当に謝らなければならない人はほかにいるような気がいたしますが、周りが言うように彼女が本当に「聡明」であるのならば、とっくに謝っているでしょうから、スルーしときましょう。

大喜びの勘助。
「初孫」が出来たジーサンのような喜び方です。
すでに生まれてくる子どもは「和子さま」だと決め付けてます。

さーてさて、その頃、今川と北条との間に争いが勃発。

今川領を占拠している北条を一緒に討ってくれ、と「黒衣の宰相」雪斎が、晴信のもとに援軍要請です。
意味深な雪斎に何か思うところがある様子の晴信。

武田は今川に晴信の姉を嫁にやっているうえ、親父・信虎の面倒を見てもらっているので、その要請を無視できません。

もともと北条と今川の仲が悪くなったのは、今川が晴信の姉(母・大井夫人)を嫁に迎えて、今川と武田が同盟を結んだから、のハズです(うろ覚え)。
北条氏康の正室は義元の異母姉(妹かも?)で、最初に婚姻による同盟を結んでいたのは北条と今川だった、ハズです(うろ覚え)。

武田での重臣会議。
口を開こうとした勘助のまえに立ちはだかった(?)のは小山田信有。
小山田は雪斎を通じて今川の情報を得ていましたが、なんと北条とも通じていた!と言います。
晴信承知のうえで。
地図まで持ち出し、機を見て、今川から北条へ乗り換えるのもオススメ、みたいなことを言います(うろ覚え)。
後から覗き込もうとする勘助が笑えました。
小山田支配人は、勘助に対抗意識があるみたい。

結局のところ、「今川と北条の仲介を斡旋する」という勘助案が取り入れられ、勘助は今川のもとへ使者として出向きます。

庵原・息子から、「雪斎は実は北条との戦に反対」であると聞いた勘助はピン!ときます。
義元ととしては心は西(上洛)に向かっていて、後顧の憂いを経っておきたいところらしい、と。
上洛において邪魔なのは、台頭してきた織田氏(分家)。
このときまだ信長はまだ10歳前後(たぶん)。「うつけ」の噂すら出ていないころでしょう。
義元が気にしているのは信長の親父・信秀です。

雪斎に取り次いでもらって勘助、義元と対面です。
義元はあいかわらず「むさくるしい男」は嫌いなようです。
しかし「北条は関東管領家への盾」ということに納得したのか、武田家の斡旋を受けることにします。
義元はすべては雪斎の考えだと見抜きました。
確かに、この話すべての筋書きをわかっていたのは、筋を書いた雪斎と筋を読んだ晴信でした。

義元、勘助に

「わしを説き伏せたなどと思うな」

「誓書をかわす際にはそれなりの人物をよこせ」

と、どこまでもむさくるしい男は嫌いな態度です。

駒井はむさくるしくなかったので、文句はなかったらしいですね。

寿桂尼さまは勘助を高く買っているらしいです。
武田家だけではなく、もっと大きな「天下」に仕える人間だと見ているらしです。
ところで、義元の母「寿桂尼」が何故、政事に意見をはさめるのか?ということについては、以前、「姫の戦国」永井路子著を読んで記事にしておりますので、よろしければこちらをどうぞ。→“姫の戦国”寿桂尼ってどんな人?

勘助、ことの次第を小山田に報告です。
勘助のあまりの「お屋形さま万歳」ぶりにキレる小山田。

「所詮わしはお屋形の器ではないと申すかっ!」

小山田って人は「自分が一番頭がいい!」と思っていたい人なんでしょうね~。
で、実際にかなりなキレモノ。
物事を高見から見ていたいような・・・。
この父(信有)あって、あの息子(信茂)アリってことですか。

勘助、今度は板垣と一緒に北条氏康のもとへ。
途中で勘助、由布姫との仲を疑われてしまいます。

このシーンさ・・・この回の内容とはそぐわないような気がしていたんですけど、勘助の言葉がひっかかりました。

「国は人」

勘助が言う「国は人」は尊敬する主人や守りたい人や大事な人がいてこその「国」だってことでしょう。
でも、「国」を治める領主にとっても「国は人」ですね。
人がいてこそ「国」は成り立つ。

国民が逃げ出す国なんて、そう先は長くない。
あの国はどれだけの犠牲者をだすのだろうか??←と例のニュースを聞いたとき、「国は人」を思い出しました。

ええと、とりあえず誤解は解けました。

北条氏康と対面する板垣と勘助。

「そちを召抱えなかったわしは見る目があったのう」

と氏康。

北条氏康は武田の仲介を受け入れました。
北条は関東管領との対立から、今川と戦っている場合ではなかった。

そんなわけで「三国激突」することなく、無事に駿河から北条は立ち退きました。

晴信は義元に誘われ、駿河にやってきます。
はじめて「海」を見たようです。

ま、義元がイヤミを言うのは置いておいて、アレだよ・・・。

義元と並べると、晴信は、かなり

イケてなかった

です。

貴族と田舎武士・・・・。


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ラベル:風林火山 ドラマ
posted by くみ at 00:05| 静岡 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | NHK大河「風林火山」(07年) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに「激突」してなかったですね^^;
「知恵比べ」で競い合ったということでしょうか。

北条と今川が仲違いしたのは仰る通りですね。
お互いの仇敵だったハズの武田と、勝手に結んだ今川に対して
氏綱がキレて、駿河東部を侵略したようです。

小山田の野心は子に受け継がれて、秘められてたんですかね~。
ショボイ裏切りで、自分の首を締めることになってしまいますがw
Posted by 元康 at 2007年06月11日 19:21
元康さん

息子受け継がれたのは、主君を侮る性格かもしれませんね~。

でも嫡男太郎義信が家督を継ぐとばかり思っていた家臣たちは、勝頼を受け入れられなかったという話もありますが。
イレギュラーな出来事ってことでしょうかね?

小山田息子が裏切らなくても、武田は滅んだでしょうね~。
Posted by くみ at 2007年06月11日 19:31
今回の「三国激突」の番組。
難しかったですね~。
くみさんのブログ読んで、少しは人間関係が分かりました。

が・・・この時代の今川、北条、武田、その他(笑)が複雑ですね・・
やっぱ本読んで、背景を理解してないといけませんね~~ウーン・・・

寿桂尼のページも読ませていただきましたよ。
そーなんだ。。
必要に迫られて頑張っているうちに、「女戦国大名」と呼ばれるところまで行ってしまった。
立派ですね。

知名度は低くても、そんなしっかり者の女性は過去に沢山いたのでしょうね。
Posted by merry at 2007年06月13日 16:16
merryさん

ありがとうございます!
お返事遅くなってすみません。

『風林火山』の時代の背景はわたし、すんごい苦手です。
うっかりしているとおいていかれそうになります。
いや、もうかなり・・・ピンチ。

寿桂尼の研究は、戦国時代のほかの女性よりかなり遅れていたようです。
義元が負けたからでしょうね。


Posted by くみ at 2007年06月17日 12:57
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