2007年03月28日

“お家相続 大名家の苦闘”

目的もなく図書館に行くと何故だかこういう本を借りてきてしまいます。
わたし、小説にはものすごく「好き嫌い」があるので読んだことのない作家さんになかなか手が出ないのです。
いままでも「小説」の記事は少ないはず。
それだけ読んでないから。
選書や新書は「テーマ」さえ好みであればいいので、楽。

で、今回はこちら。↓。江戸時代です。



あ、そうそう、最近大河「風林火山」を見ていて思ったのです。
わたしには、、「戦国ヲタ」「戦国マニア」と呼ばれたり、名乗るほどの「知識」がございませんです。
「風林火山」わけわからん・・・・。

これからは「ちょっとだけ人より日本史が好きな人」だと思ってくださいな。
でも、高校時代、「日本史」「世界史」より「政治経済」のほうが成績は良かったです。

さて本題。
大名家は「お家」が一番大事。
減俸ならまだしも「断絶」なんてもってのほか。

昨年の大河「功名が辻」は、歴史上それほど有名でもないが、大大名になった「山内一豊」とその妻「千代」の物語でした。

ドラマ後半で描かれたのは、大大名になったゆえの苦悩でした。

いかに「土佐藩・山内家」が江戸幕府に対し、「奉公」に勤めたか?というと、なんでも他の大名家から「土佐藩に習え」と言われるほどだぅたそうです。
その「土佐藩」の土台をつくったのが「一豊&千代」でした。
「土佐藩」は明治維新まで二十万石から「減俸」されたことのない、まれな藩です。

ま、「加賀藩・前田家」「薩摩藩・島津家」には敵いませんが。

が、しかーし、「奉公」だけではどうにもならない問題が大名家にはあった。

それが「跡目」!!!

大名の子女の幼年・若年死亡率はとても多かったらしいのです。
昔の話なので、もともと幼年・若年の死亡率は高いとは思うのですが、大名家の場合、乳母たちがおしろいとして使っていた「水銀」が死亡率を高めたのでは??という説があるそうですが。
幕末まで「実子相続」できた家は皆無に等しい。
一豊なんて最初っから二代目は弟・康豊の子でした。

「実子」がいなければ「養子」です。
とりあえず親類縁者、とくに弟の子どもが好ましいのですが、それがいなければ「娘」の婿として「婿養子」を迎えなければなりません。
親類縁者にちょうどいい男子がいればいいのですが、いなければ他の大名家から「無縁の婿養子」。
「娘」がいるならまだいい。
「娘」がいなければ、まず「養女」を迎え、その養女に「婿養子」
もう「血筋」さえ怪しくなってくる。

当主が五十歳をすぎて亡くなった場合、跡目が決まっていなければ「断絶」の危機。
武士たるもの、その年齢ならば当然跡継ぎを決めておくのが嗜み。だそうで。
大名当主が十七歳未満で亡くなった場合、またピンチ。

「十七歳」という年齢が大事だそうで。若年ゆえに。
幕府の規定では十七歳未満の当主は原則養子を迎えることができず、その十七歳未満の当主が亡くなったら、目の前に危機が!!

かくして大名家は「年齢操作」をすることになる。
八歳水増しとか、無理ありすぎ。
そういや、最近、グラビアアイドルの年齢詐称が話題となりましたが。

なりふり構っていられない「大名家の悲哀」が浮かび上がってきます。

「華麗なる一族」ってどの時代でも大変なのね。

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ラベル: 歴史
posted by くみ at 20:37| 静岡 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 読書(日本史・世界史・古典など) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして^^

私の芸能サイトで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://girlhole.livedoor.biz/archives/50059740.html
です。
Posted by アイドルニュース at 2007年03月28日 21:27
土佐藩は身分制度などの問題を抱えながらも、
幕末まで家を存続させたのは素晴らしい事ですよね。
明治維新でも活躍する人物を数多く排出してますし^^
「辻」ではお友達だった、堀尾、中村の両家は、
まさに後継ぎの問題で早々に断絶してますもんね^^;;

殿様の一番大事な仕事って、子を作るコトなのでしょうね・・・w
Posted by 元康 at 2007年03月29日 20:50
元康さん

ありがとうございます。
確かに土佐藩は身分制度等を抱えていましたね。
よくは知らないのですが、身分制度は他の藩にもあったようで、土佐藩だけ有名なのは「坂本龍馬」が輩出されたから?でしょうか??

二十万石から減俸が一切なかったというのは、大したものだと思っています。
一豊上出来です。

やっぱ「断絶」はいかんですよね!!
忠臣蔵で何が悲しいって、生きるために他家に仕官した人たちが、周りから悪く言われることです。

あ、そうそう。
一豊くんは地元では最初からわりと有名でしたよ。
わたしの場合、玄関出たら2分で「城」なので、余計馴染み深かったのかもしれません。

大名家は近親婚が多かったために「死亡率」が高かったという説もあるそうで、うーん、お家のためとはいえ大変だったでしょうね。
Posted by くみ at 2007年03月29日 21:26
>玄関出たら2分で「城」

・・・ご先祖様はご家老様でしょうか!?
素晴らしい環境にお住まいなのですね~羨ましい^^

江戸中期ともなると、今の世に認識されている「武士道」
が根付いていたでしょうから、「生きる」ことで後ろ指を
指されてしまうのですね^^;;
戦国時代なら当たり前の事なのですが・・・。
Posted by 元康 at 2007年03月29日 21:44
元康さま

>玄関出たら2分で「城」

は、本当です。

が、残念なことに我が家は明治時代に今の場所に引越してきたそうなので、「家老」どころか「掛川藩」とは何のかかわりもございません。

今、住んでいる土地は「町民の住む町」ではなく、「屋敷町」だったのです。

「城」は平成に入ってから再建されたものです。
昔は市民公園でした。
城跡はわたしにとって遊び場所でした。

お墓があるお寺や、氏子となっている神社が一豊と縁の深いものだらけなので、今は亡きばーさんがいろいろ話してくれたものです。
Posted by くみ at 2007年03月29日 22:01
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