2007年02月15日

“姫の戦国”寿桂尼ってどんな人?

永井路子「姫の戦国」です。

今川の『寿桂尼』という女性には、随分と前から興味があってこの本を「読んでみようかなぁ」と思っていたらタイミングよく『風林火山」に登場。
早速読んでみました。

姫の戦国 (上) (文春文庫)
永井 路子
文芸春秋
売り上げランキング: 176786
おすすめ度の平均: 4.5
4 姫の戦国
5 埋もれていた分国経営のトップランナーにスポットライトをあてた意欲作
5 「まぬけなやられ役」のイメージ逆転


姫の戦国 (下) (文春文庫)
永井 路子
文芸春秋
売り上げランキング: 325444
おすすめ度の平均: 3.5
5 大河ドラマの人物形成に与えた影響を感じ取ります
4 大河ドラマとして見てみたい作品
2 どうもしっくりきませんでした


永井路子氏の作品といえば一番最初に読んだのは『北条政子』なのですが、その作品はいずれまた。

『寿桂尼』という女性は今川氏親の正室です。
二人の間にうまれた五男が今川義元です。

中御門大納言の姫として産まれた彼女がどうして駿河の大名に嫁ぐことになったか?
彼女がどうして『女戦国大名』などと言われ、今川家の実質的支配者となったか?

作者はこう語らせています。

「そうするよりしかたないじゃないの」

単純に他に方法がなかった、と。
大げさな理論をふりかざすのは男のやり方だと。

永井路子氏の『北条政子』でも、政子はとくにでしゃばるつもりではありませんでした。
ただ夫が早く亡くなり、自分が動くしかなかった。
寿桂尼もそう書かれています。

もちろん、それは作者の『創作』です。
しかし、私には『歴史上の女性』は女性作家さんのほうがしっくりきます。
永井路子氏の『一豊の妻』の千代は、司馬遼太郎氏の『功名が辻』とは別人の『悪妻』(??)ですけどね(>_<)

Amazon.co.jp姫の戦国 (上) (文春文庫)姫の戦国 (下) (文春文庫)



参加中です↓。
人気blogランキングへ



中御門大納言の二の姫、悠姫は18歳。
応仁の乱以降、京の都は足利幕府の力が弱まり、管領細川家でもお家騒動が勃発。
白昼の戦闘はもちろんのこと、夜は放け火、強盗がのさばっていた。

ある日、悠姫に想像もつかなかった縁談がやってくる。
足利の分家筋、駿河の太守今川氏親との縁談だ。

「駿河なんてそんな遠く、とんでもない!」
「しかも17歳も年上の人なんて!」

と、思った悠姫だったが・・・。
まわりを見渡したとき、貧乏公家はたよりなく、幕府関係もたよりなく、だんだんとその気になってしまう。

嫁ぐ悠姫に父の大納言は『帰』としるした印を渡した。
『帰』とは『わが家に帰るがごとく、嫁ぐ』ということ。
今川氏親は地方大名で最初に印を使い出した人物だった。

駿河に輿入れした悠姫は驚くことばかりだった。
江尻の港(現在の清水港)の賑わい。
商人の数。
京だと冷え込むような季節のはずなのに、駿河の空気はやわらかだった。

武人と公家の隔たりか??微妙な空気を感じ取りながらもまずは順調な暮らしを始める悠姫。

姑の北川どの(北条早雲妹・京出身)との確執や、氏親が侍女に産ませた子どもの存在(安王丸・玄広恵深)など悩みが深くなりながらも、氏親の仕事を理解するようになる。

氏親も利発な悠姫にすすんで領国経営の話をする。
もっともそれは単なる『話題』でしかなかったはずだ。

長男・龍王丸(後の氏輝)、彦五郎、芳菊丸(後の義元)、竹王丸、他二人。あわせて6人の男子を産みながらも、側室腹の男子のことを気にかける悠姫。

そんななか芳菊丸の師として九英承菊(後の太原崇孚・雪斎)と出会い信頼する人物と認める。

そして、このまま変わらない日々が続いていくものと思っていた矢先に夫・氏親が倒れる。
悠姫の看病のおかげで病状は軽くなったものの、領内の仕置きには取次ぎが必要となった。
口が重くなった夫の言葉を聞き取れるのは悠姫だけ。

夫の言いつけを悠姫が家臣に告げる。
悠姫の言葉に夫がうなづき了解をとる。

そのような形で検地・本領安堵・金山仕置き・寺社への文・将軍家への言上などが行われるようになり、花押(署名)のかわりに『印』を使うようになる。

そして夫婦は万が一のときのために『今川家仮名目録』をつくる。

氏親が亡くなったとき、嫡男・氏輝はまだ13歳。
幼い当主にかわって悠姫改め『寿桂尼』が、夫の取次ぎのときと同じように領内の決裁をするようになる。
使う『印』は嫁ぐときに父が持たせてくれた『帰』の印。

息子・氏輝が成人するまで、あと少し、あと少し。
そう思いながら。
しかし周りは彼女を『女戦国大名』と呼んだ。

悠姫・寿桂尼には大げさな決意はなかった。

そうするしかしかたがなかったのである。

この後、寿桂尼は長男・氏輝、次男・彦五郎を同じ日に亡くす、という悲劇に見舞われます。
この間、『風林火山』でも放映しました。
そうすると、跡目は氏親の五男・承菊丸(梅岳承芳)が当然です。
彼は正室の産んだ三番目の男子だからです。
それに対し、玄広恵深を押したのが福島一門。
この対立が花倉の乱です。

寿桂尼はこの後、武田家に三条家の姫君を縁付け、武田晴信の姉を義元の正室にします。
義元の異腹の姉は北条へ嫁ぎ、やがて義元の娘は晴信の長男へと嫁ぎます。

若き義元は駿河で『検地』を実行し、家臣団を編成し、商人に免税という優遇処置をし、『流通』の要を手に入れます。
このとき、織田信長はまだ五歳。

『東海一の弓取り』と言われ、寿桂尼も安心して老後を向かえようと表からは身を引きだす。

そのから十数年、義元は上洛途中、『桶狭間』にて命を落とす。

跡継ぎの氏真は心もとなく、弱体した今川をまた老いた寿桂尼が支えるしかなかった。

寿桂尼の存在が大きかったことは確かで、武田は彼女の死後、駿河に侵入しているそうです。

『死しても今川の守護たらん』

と言い残し、その亡き骸は館近くの竜雲寺に葬られました。

『死しても今川の守護たらん』

大河の寿桂尼は言いそうですが、この作品の寿桂尼にはちょっと似合いません。

「わたしが守らなければ誰がやってくれるのよ!!」

などと言いそうです。

織田信長が桶狭間で勝利を治めて、怒涛の進撃をはじめ、本能寺で討たれるまでが二十二年。

氏親・氏輝・義元の時代はその倍以上です。
それだけ長い期間、駿河の今川は時代のトップでありつづけました。

義元のことを『公家かぶれ』などと言うことがありますが、それは間違いだそうです。
足利将軍家は『公家風』を取り入れており、今川は足利に次ぐ家として『公家風』を取り入れることを認められていた。
義元は4歳から仏門で修行したため、確かに弓矢・馬は不得手でした。
しかし、領国の経営に関しては天下一だった。

うーん、時代は残酷だ。
そんな力を持っていても死ぬときは死ぬ。
そんな今川を倒した織田は、明智に討たれる。

もし、義元があのとき死んでいなかったら、寿桂尼は今頃大河の主人公かもしれません。

Amazon.co.jp姫の戦国 (上) (文春文庫)姫の戦国 (下) (文春文庫)

参加中です↓。この記事書くのに3日かかった・・・。あ~『確定申告』はあと投函のみ!!!がんばったわたしに励ましのクリックを!←関係ないけど。
人気blogランキングへ


posted by くみ at 23:59| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書(永井路子) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長文は携帯から読んだ方が読みやすい。
…と言う事に気がつきました。

さて。

う~ん、なんともごもっともな話ですな。
女性の視点というか言い分の方が、理にかなっているっていうか。
男の大義名分って、理想でしかないっていうか。

ヨメとの会話でも「そんな…直感的過ぎやん…(困」
とか思う事もしばしばですが、女性の意見の方がショートカットだったり。

ええ。とても身にしみる話題ですな。


でも…寿桂尼の『死しても今川の守護たらん』はさすがに怖いな…
死んでも尻に敷かれてるみたいで(笑
Posted by zep at 2007年02月16日 14:10
zepさま

まずは長文読破ありがとうございます。

携帯で・・・。
そうですか、長いですか・・・。
思いっきりカットしたんですけど。
せっかく機種変なさったことですし、これからも携帯でお願いします。

女性って確かに「直感的」なところ、ありますよ。
女同士の会話とか、話がポンポン飛んでいるでしょう??
常にアンテナ高くしているので、友人との会話でも自分が引っかかったことを口にだすので、ああなるんです。
あれって男の方は理解しがたいようですね。

『死しても今川の守護たらん』
あの世で夫・子ども・家来たちも頭が上がらないと思います。

Posted by くみ at 2007年02月16日 21:05
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。