2007年02月06日

“大江戸の姫さま”江戸時代、「姫さま」は数万人いた!!

seesaaさんがリニューアルしました。
使いにくい、使いにくい、使いにくい。
さくさく動いてくれよ!!!
とりあえず『練習』せねば。←サービスを変えるのは面倒なのよね。

というわけで。
図書館で何も考えずに本を借りると、こういう本ばっかりになります。↓。歴史ヲタ・・・。


大江戸の姫さま ~ペットからお輿入れまで~

「姫」とは貴人の娘を指していいます。

「王女」と「姫」は違います。
王女、と呼ばれるのは王朝直系の女性のみ。

現在の日本では天孫までを「内親王」と呼び、それ以上離れている方は「女王」(じょおう、じゃないですよ「にょおう」です)と呼びます。

さて江戸時代。
大名の正室と子どもは江戸に常住せねばならなかった。
各大名家ごとに「姫さま」がいる。
直参旗本の娘だって「姫さま」と呼ばれたりする。

他にも、国元で側室から産まれた「姫さま」が出府してくることもあるし、京の公家の「姫さま」が下向してくることもある。

常時千人以上、のべで約数万人の「姫さま」が江戸時代に存在したそうだ。
大変そうだ・・・。ひとりで出歩けない人たちがそれだけいるんですよ!?

大奥ネタ。
将軍綱吉(谷原章介)の娘・鶴姫(小池栄子の娘!)はわずか9歳で紀伊徳川家へ輿入れした。
将軍の娘だから「降嫁」。
鶴姫が移動したのは江戸城大奥から、紀伊家上屋敷(赤坂)までの数キロメートル。

多くの「姫さま」は江戸だけで人生を送った、といえる。

なんだか切ないな~。狭い世界だな~。
綱吉の一人娘・鶴姫は28歳で亡くなってしまった。

そうかと思えば長旅をして江戸にやってくる「姫さま」もいる。
来年のN○K大河の主人公「天璋院篤姫」は、将軍家定に入輿するため、はるばると鹿児島からやってきた。
彼女は島津斉彬の実子ではない。養女なので国元にいた。
将軍の正室になるために、斉彬の養女になり、さらに近衛忠熙の養女になっている。
注・島津家は大名家で唯一、将軍御台所を出した家。

で、結局・・・。

「姫さま」の存在意義というのは「輿入れ」にある、と。

家と家をつなぐネットワークの要。
将軍の娘は有力大名に嫁ぎ、幕府の基盤を補う。
将軍家・御本丸流と大名風と微妙に文化が違うらしい。
「姫さま」は多くの女中たちを引き連れて輿入れする。

公家の「姫さま」も将軍家や大名家に輿入れする。
公家と武家の複雑な縁戚関係を形成する重要な一員。
生活様式は、公家と武家では、もはや異文化コミュニケーション。


この本も最終的には「内親王・和宮」の降嫁で終わっています。
やはり最後は彼女に行き着く。

以前に「内親王ものがたり」という本の記事を書きましたのでよろしかったらどぞ。→こちら。

「姫さま」というと華やかなイメージがありますが、封建制度が確立された江戸時代は、彼女たちの個性を微妙に隠してしまいました。
そして近代日本の成立期、「対等な立場の妻」という存在そのものがまるで無かったかのように消されてしまいました。

そしてそのまま現代に至る。
最近、「女性が強い」とか言われますが、そんなの嘘ーーん!!
女性はもともと存在感バリバリにあって、歴史的に見れば、そんな時間の方が長いんですよ。

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ラベル: 歴史
posted by くみ at 22:05| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書(日本史・世界史・古典など) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事投稿のページしか見てないんですが、
文に効果をつけようとするとボタンがぷるぷるするのがイヤです。

お姫様…あこがれる言葉ですが
自分のような自立心旺盛な(わがままな)人間には
到底無理だな、とアタマが下がる思いです。
Posted by ぽるきち at 2007年02月06日 23:32
オクサマ

ボタンをクリックするとき、なんか画面も揺れてますよね!
使いにくい、というか見にくいです・・・がくし。

こういう歴史の余計な知識ものをよく読むのですが、大河を見るときにしか役に立ちません。
Posted by くみ at 2007年02月07日 19:31
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