「お茶」も「お花」も「着付け」も「料理」も習ったことがありません。
あ~、母は全部やってましたな。
一番打ち込んだのは「お花」らしいです。
我が家の玄関、常に「いけばな」有り。
そういえば習い事は「習字」も「そろばん」もやってなかったです。
学習塾も行ったことがない。
唯一長年習ったといえば「エレクトーン」。十年弱。
私は他人と一緒に何かをする、「学校」とか「塾」とか「教室」をできるだけ避けて生きてきたのですよ。
ああ、この極度の・・・以下略(わかってるんだ)。
「仕事」は「別」ですけど。
「仕事」しなければ生きていけないし。
ま、そんなこんなで
「特技も趣味もない。好きなこともない。どうしよう。私~以下略」
と友人にメール打ってしまうような女が出来上がったのでした。
↑このことは以前も述べております。→こちら。
またもや、前フリが長いぞ。
カンタンにいくつもりだったのにのにのに・・・・。
「お茶」「お花」「着付け」「料理」
どれか習わなければならない、としたら私は「お茶」を選ぶでしょう。
「料理」はテキトーにできるから別に習わなくても・・・という以前に、婦人雑誌等にのっている「お教室仲間」みたいなものに、ゾゾっと・・・以下略。
「お茶」での人間関係は『密着』したものではない、と母に聞いておりましたので・・・・またかよ・・・・。
それは、この本にもでてきます。
この本を読むと「お茶・・・いいかも?」という気分になります。
それで本当に習うようになるといいのにねぇ。
25年「お茶」を続けている著者の、「お茶」に関するエッセイです。
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「お茶」というものは、まず「型」から入るもの、らしいです。
「型」をつくり、あとから「心」をいれる。
理由はない。
何故?はない。
とにかく「お茶」とは、そういうもの。
頭で考えない。
覚えない。
自分の手に聞け。
気持ちを「今」に集中する。
「わからないことは理解できるまで聞きなさい。」
という、「学習」とはまったく異なるもの。
自然に身をまかせ、感覚を研ぎ澄ます。
冬に口数すくなくなり閉じこもり、夏に活動的になる。
それを受け入れる。
世の中「明るい」「ポジティブ」が良い、という風潮のなか、「お茶」の世界ではどちらが良くて、どちらが悪い、とは決め付けない。
「雨」の日は「雨」を聴き、「冬」の日は「冬」の寒さを感じる。
著者が「滝のような大雨の日」に突然、感動を味わうシーンは圧巻です。
「お茶」を嫁入りのための「習い事」としかとらえてなかった私には新鮮でした。
この本にはたくさんの「茶花」がでてくる章があります。
「くまがいそう」「なるこゆり」「ひとりしずか」「ふたりしずか」「はないかだ」「たいつりそう」「しゅうめいぎく」「まんさく」いろいろ。
私にはとても身近な名前でした。
すべて、私が母の実家のある山のなかで自然に生えているものを見たことがあるのです。
そして、建てかえるまえの母の実家の庭にあったものでした。
もともと「茶花」は自然の中のもの。
茶人はそれを何十年もかけて、庭に移植する。
根こそぎ、野山から抜いてきたりはしない。
「お茶」の心得がある祖父(故人)が、幼い私に言いました。
「根っこから抜いてはいけないよ」
「一本だけだよ」
「はないかだ」の葉を一枚だけもちかえり、浅い青磁(おそらく)の花器(お花の心得もありました)に水を張り、葉を一枚浮かべ、祖父は自分の作業場の机の上におきました。
「ほら、『はないかだ』が本当のいかだになったよ」
もう、わずかしか残っていない祖父との思い出のひとつです。
口調も、言葉もあやふやです。
注・私の祖父は市役所を定年後、日本画・習字など趣味に没頭していた人でした。
描いた絵や書はすべて市内の寺院に寄進。
人に頼まれて描いた絵や書(おもに掛け軸や新築した家のふすま絵)はすべてお礼を受け取りませんでした。
63歳で亡くなりました。
もしかしたらほんの少しだけ、私も「お茶」の心を祖父から教わっていたのかもしれません。
ほんとに少しだけ・・・・。
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ラベル:本
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ご無沙汰していました^:^・・お元気そうですね・・
「雨」の日は「雨」を聴き、「冬」の日は「冬」の寒さを感じる。
↑そうだよね~自然に身を置くこれが
素敵ですよね・・・
最近ブログ巡回ができないのよ。
巡回していると、自分の記事が書けない。
↑こんなこと書いてますが、私、雨の日は嫌い(笑)
あ、正確には雨の日に仕事へ行くのは嫌い。
雨の音を聴きながら寝てたいね~。