2006年11月20日

功名が辻「土佐二十万石」おまけ。一豊くんがいなくなってからの掛川は??

一豊くんが土佐に行ってしまいました。

一豊くんが去ってからの掛川。
江戸時代になり掛川藩。

もう、とんでもなく藩主が替わっています。譜代・親藩の藩ですけどね。

こんなですよ。




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松平(久松)(まつだいら(ひさまつ))家 1万石。譜代。家康の異父弟の家系。

松平定勝(さだかつ)<従五位下。隠岐守>【慶長6年2月藩主就任-慶長12年4月29日移封】

松平定行(さだゆき)<従五位下。河内守>【慶長12年4月29日藩主就任-元和3年移封】

安藤(あんどう)家 2万8000石。譜代。

安藤直次(なおつぐ)<徳川頼宣附家老>【元和3年藩主就任-元和5年移封】

松平(久松)(まつだいら(ひさまつ))家 3万石。親藩。

松平定綱(さだつな)<従五位下。越中守>【元和5年藩主就任-元和9年移封】

朝倉(あさくら)家

朝倉宣正(のぶまさ)<徳川忠長附家老>【寛永2年9月-寛永9年改易】

青山(あおやま)家 2万6000石→3万3000石。譜代。

青山幸成(ゆきなり)<従五位下。大蔵少輔>【寛永10年2月3日藩主就任-寛永12年7月18日移封】

松平(桜井)(まつだいら(さくらい))家 4万石。譜代。

松平忠重(ただしげ)<従五位下。大膳亮。奏者番>【寛永12年8月4日藩主就任-寛永16年2月12日死去】

松平忠倶(ただとも)<従五位下。遠江守>【寛永16年3月3日藩主就任し、同日のうちに移封】 ←これって何??

本多(ほんだ)家 7万石。譜代。

本多忠義(ただよし)<従五位下。能登守>【寛永16年3月3日藩主就任-正保元年3月8日移封】

松平(藤井)(まつだいら(ふじい))家 2万5000石。譜代。

松平忠晴(ただはる)<従五位下。伊賀守>【正保元年3月8日藩主就任-慶安元年閏正月19日移封】

北条(ほうじょう)家 3万石。外様。

北条氏重(うじしげ)<従五位下。出羽守>【慶安元年閏正月21日藩主就任-万治元年10月1日死去】

井伊(いい)家 3万5000石。譜代。

井伊直好(なおよし)<従五位下。兵部少輔>【万治2年正月28日藩主就任-寛文12年正月6日死去】

井伊直武(なおたけ)<従五位下。伯耆守>【寛文12年3月14日藩主就任-元禄7年6月8日死去】

井伊直朝(なおとも)<従五位下。兵部少輔>【元禄7年11月12日藩主就任-宝永2年12月3日強制隠居】

井伊直矩(なおのり)<従五位下。兵部少輔>【宝永2年12月3日藩主就任、同日に移封】 ←これもだ!!

松平(桜井)(まつだいら(さくらい))家 4万石。譜代。

松平忠喬(ただたか)<従五位下。遠江守>【宝永3年正月28日藩主就任-正徳元年2月11日移封】

小笠原(おがさわら)家 6万石。譜代。

小笠原長煕(ながひろ)<従五位下。山城守>【正徳元年2月11日藩主就任-元文4年4月21日隠居】

小笠原長庸(ながつね)<従五位下。山城守>【元文4年4月21日藩主就任-延享元年7月6日死去】

小笠原長恭(ながゆき)<従五位下。佐渡守>【延享元年8月27日藩主就任-延享3年9月25日移封】

太田(おおた)家 ここでやっと落ち着く。5万石。譜代。
太田道灌の家系です。

太田資俊(すけとし)<従五位下。摂津守。奏者番。寺社奉行>【延享3年9月25日藩主就任-宝暦13年12月10日死去】

太田資愛(すけよし)<従四位下。備中守。侍従。奏者番。寺社奉行。若年寄。京都所司代。老中>【宝暦13年12月19日藩主就任-文化2年2月17日死去】

太田資順(すけのぶ)<従五位下。摂津守>【文化2年4月6日藩主就任-文化5年10月7日死去】

太田資言(すけとき)<従五位下。備後守>【文化5年12月3日藩主就任-文化7年6月17日死去】

太田資始(すけもと)<従四位下。備後守。侍従。老中。京都所司代。大坂城代。寺社奉行。奏者番>【文化7年8月11日藩主就任-天保12年6月10日隠居】

太田資功(すけかつ)<従五位下。摂津守。奏者番。寺社奉行>【天保12年6月10日藩主就任-文久2年1月死去】 ←二宮尊徳の弟子を招く。

太田資美(すけよし)<従五位下。備中守>【文久2年3月藩主就任-明治元年9月移封】


徳川幕府・・・・かんべん・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)


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ラベル:功名が辻 ドラマ
この記事へのコメント
ひいぃ~、凄すぎる。
よくぞここまでお調べになったものです。
確かにこれだけ変遷があると民衆も
『あ、また代わったの?』
くらいしか感じなくなるかもしれませんね。
Posted by ガノタ夫 at 2006年11月20日 20:56
オットサマ

ありがとうございます。
え~調べてません。
図書館行ったついでにコピーしてきただけです。
「功名が辻」「城」関係はコーナー出来てますので。
ちらしもとり放題です。
途中まで打って、ウィキペディアみたら、そのまんまでした・・・・。

徳川は15代。
掛川藩主は26人。
どう考えても、家も人も多すぎです。
ずっと同じ家が治めたほうが落ち着くと思うのですよ・・・。
場所柄、仕方ないとは思うのですが。

と、いうことで掛川で印象に残る城主は「山内一豊」と「太田氏」なのです。
「太田氏」は名君ぞろいだったみたいです。
Posted by くみ at 2006年11月21日 21:04
よく調べましたね。すごいです。
読んでいるだけで疲れました。
書いた方はもっと疲れた?

隣の市に太田酒造があり、「道灌」という銘柄のお酒を造っておられます。
太田氏の末裔だそうです。
Posted by merry at 2006年11月21日 21:31
merry さん

調べてません。
コーナーに行ったら楽勝でした。
いや、カンタンにコピーしただけです。
歴代藩主の表は以前、広報と一緒に配られたりしたんですよ。
松平久松家だけ打って、試しにウィキみたら、そのまんまだったので、もう、いいやとコピ・・・・。←すすすすすいません。
Posted by くみ at 2006年11月21日 21:39
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大河ドラマ 「功名が辻」 土佐二十万石
Excerpt: いよいよ土佐入国です。 しかし前途は多難・・・。
Weblog: 雨ニモマケズ 風ニモマケズ
Tracked: 2006-11-22 22:40
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