2006年11月19日

功名が辻「土佐二十万石」

功名が辻「土佐二十万石」

ちょっと、書きにくいな~。

徳川家康からたいへんな宿題を出されてしまいましたね。
一豊くん。

えとですね、私は土佐・高知での『山内一豊』の評判を知りません。
一豊は掛川城主で、掛川を城下町にした人です。
そのイメージしかないのです。
いいイメージしかない。

掛川は江戸時代に入り、譜代の城主が入れ替わり入れ替わり入れ替わり、江戸時代後半にやっっっと太田氏(太田道灌の家系)で落ち着いた土地です。
市のマークは桔梗(太田氏の紋から)です。
藩主・藩政が定まらなく、用水の開発に遅れ、灌漑用水を溜め池(市内に溜め池が200以上あります)に頼っていたため、干ばつのたびに大飢饉となり、死者をたくさん出しました。
はっきりいって当時は貧乏な土地(米がね~)。
土地の広さのわりに石高が少ないのはそのせいです。
茶畑の方が多いしな!!!
その貧乏ゆえの倹約が『大日本報徳社』の教えにつながったといっていいでしょう。

それにくらべたら土佐は豊かだと思います。
暖かいし。暖かいし。って暖かいんですか??
ま、掛川も雪は降りませんが。

その土佐を治めるために一豊がしたことを、土佐・高知の人々がどう思っているかは知らないのです。



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さて、今日は二度ほど吹きました。

「器量かの」



「今のわしなら鉄砲の弾も・・・」

です。

寧々さま、人の旦那を笑いすぎです。
私もだけど。

そういえば「刺されても死なない」って言っていた人がいましたね~。

千代、寧々さまに相談しています。
が、秀吉が秀次一族を殺したときに
「秀次の一族を皆殺しにするなど、うちの人ではない」
という寧々さまに説教したのを忘れたんでしょうか??

一豊の特長は『律義者』『馬鹿正直』
良くも悪くも。

毎日毎日毎日、井伊直政に相談する。
わからないところはわからないと言える人。
それってすごいと思いますよ。

直政、いい迷惑だけど。

「な~お~ま~さ、な~お~ま~さ」 by 上さま、怖いです。

リピート。

土佐に入国するのには、困難を極めました。
康豊くんは撃たれるし。
一領具足は暴れるし、その一領具足を処分した長宗我部氏の重臣を追放し、その他もろもろ残酷なことをたくさんしたのは知っています。
長宗我部氏の重臣を一切受け入れなかったという山内氏のやり方が後に、維新に影響を与えた、とか。

や、幕末はまーーーーーったくわかりません。

もうね、「興味ないところはまったく学ばない」、と小学一年生のころから言われております、私。←担任から母に封書で手紙が来たそうで・・・。
一豊を見習わなければならない。

実は「新しい領主を受け入れられない」、という一領具足たちの忠誠心がいまいちわからない。
土地柄??
関ヶ原で失敗した長宗我部氏に何故、そこまで??
と、いうか高知の人は山内氏より長宗我部氏のほうが好きだ、と何かに書いてあったような・・・。

愛知や静岡って波乱な土地なんですよね。
戦国時代の舞台というか。
領主の交替なんてしょっちゅうです。
掛川だって今川→徳川→豊臣(一豊)だし。
どっちにしろ静岡県民は『ぼんやり』してますが。
領主交替しても気づいてなさそうな・・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)

で、私はこう思ってしまうのです。

長宗我部盛親のせいじゃね??

と。ごめんなさい。今更ですが『悪者』という意味ではないです。

千代が言いたいことはわかる。
でも、その方法は無理なんでしょ。
血を流さない方法はないんでしょ。

キレイごとでだけで戦国時代を生き抜いた人なんていないと思います。
しかしだ。
一豊のしたことを、六平太の進言によるものとしたところあたり、一豊のイメージを悪くしないようにという主人公特権はありますね。
どっちにしろ国主は一豊だけど。

来週に続く。

おっと忘れてました。

「馬鹿なおなごじゃ・・・・」 by 寧々さま

夫の寵を奪った女、自分が産めなかった夫の子を産んだ女、を哀れと思う寧々さま。
正妻の貫禄ですね。

はっ!!??

撃たれても死なないがいる!!!

どうにもこうにも書きようがないのです。

あ、そういえば『市』がまだ浮かれております。
来年の大河は『風林火山』
市内に『高天神城』跡があります。

でも武田信玄や上杉謙信に興味を持ったことがまーーーーーったくなく、ほんとになーーーーんにも知らないので、来年の大河は見るかもしれないけど、記事は書かない、と今決めました。




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ラベル:功名が辻 ドラマ
この記事へのコメント
はじめまして。
功名が辻の感想を見て、ちょっと反論したいと思い書かせてもらいました。
私は高知の人間ですが、山内の人間は高知のものにとってただの進駐軍だったんですね。(これは今も言われています。)
当時は日本という認識が無く、それぞれが独立国家として存在していたそうですし、気持ちとしては、アメリカ兵がやってきたイラクのような感じではないでしょうか?
土佐のために何もしたことのない徳川家康が使わした山内という人物が「今日から殿様じゃ」とはいってきても許せるわけ無いじゃないですか?
私からすると、領主が交代しても気付かない方が不思議です。
うまく説明できませんが、長宗我部が悪いような書かれ方は納得がいきません。それだけは理解してくださいね。
Posted by don at 2006年11月19日 23:15
家康様のスリスリも笑えましたよ(笑´∀`)ヶラヶラ
Posted by ショウ at 2006年11月19日 23:35
donさま

ご指摘ありがとうございました。

お気を悪くさせましたね。
申し訳ありませんでした。
実は、かなりクレームが来るだろうと思っていました。

すべては私の無知と表現力の無さのせいです。
やっぱり私は高知の人を理解していないです。
そして理解するのは無理です。
私、四国にいったこともなければ、住んだこともないからです。
長宗我部盛親の関ヶ原での立場がすべてのことの発端だと思い、悪いのは長宗我部盛親だと書きました。

やはり四国は四国。
私、四国のブログ知り合いに、四国のことを『海外』と言ってました。←もうお詫びすることばかりです。
独立した国家のようだったのですね。
それこそ、戦国時代に家康・信長・秀吉を輩出した東海地方は領主がかわるのは頻繁なことです。
徳川時代は城代を置いていました。
それもしょっちゅうかわりました。
ちなみに掛川、とんでもなく領主・藩主の交代がありました。
江戸時代は東海道沿いの地です。
そういう土地です。
戦のたびに領主がかわるのは当たり前な土地でした。
あ~今度の城代さまは「石川数正さまか」とか、今度は「山内さまか」とは思ったかもしれませんが、領民の暮らしに変化はなかったのです。
donさまが理解できないのはわかります。
ほんとに静岡は領主が頻繁に交代しているんです。


長宗我部盛親が悪いと書いたのは、彼が西軍についたからです。
その西軍についた判断を誤ったのが『悪い』と思ったのです。
しかたない状況だったのは認めます。
人間として悪い人だとは思ってないですよ。
よく知らないのですが。
長宗我部盛親氏がどれだけすぐれた人物だったのか私は知りません。
私にとって長宗我部氏は西軍についた人。
あくまでもそういうとらえ方しかできないのです。


土佐のために何もしていない徳川方の人間が一豊を受け入れられなかった、ということですね。
でも他の土地に移封された大名もかなりいたはずです。
どうして「土佐」だけこんなに反抗意識が強いのか??
不思議だったのです。
ドラマを見ていると『よそ者』意識がすごく強いと思いました。

でも、その後何もしてないわけではないでしょう??
山内家は維新まで土佐を治めました。
減俸もなかったはずです。
最終的に開墾などで五十万石近くになったと聞いております。
土佐の発展につくしたのは山内家だと認識しております。
それでも評判が悪いのは私にとって不思議です。
山内家の藩政になにか問題があったのですか??
あ、階級制度はちょと問題ですね。
でも家が大事な大名には、非道にならねばならぬこともあるのだと思っています。
悪政をしたのですか?←幕末の藩主はかなりアレだったらしいですね。
土佐藩は幕府の難題をクリアしていきました。
山内家が取り潰されたら、また違う藩主が来たでしょう。
その藩主がもし決まったら、その藩主も拒絶したのでしょうか?
それでも山内家は嫌われているのですか?
それとも最初のアレが根深かったのですか?
私も疑問だらけです。


土地によって人間の評価は変わるものだと思います。

あ、そうそう掛川城は高知城に本当にそっくりです。
一豊がつけた高知という名前はお嫌いですか?
一豊が建てた高知城、お嫌いですか??
一豊が名づけた「高知」という名前はお嫌いですか?
私は掛川城、好きです。
掛川という地名は室町時代前から変わっておりませんが。

想像できない私が気分を悪くさせる記事を書いたのは本当に申し訳ないと思っています。

でも、記事の変更はいたしません。できません。
お許しください。

私は自分が思ったことしか書けないのです。








Posted by くみ at 2006年11月20日 00:23
ショウちゃま

スリスリは笑えるというより怖かったよ。
Posted by くみ at 2006年11月20日 00:27
donさんのコメント拝見しました。
高知の人にとって山内家は「進駐軍」だったのですか。すごいなあと感心してます。
何がスゴイかというと、五百年ほど前の先祖の意識がいまだに脈々と繋がってることです。donさんの言葉に感動すら覚えてしまいます。
ボクはお遍路で高知へはよく行きました。とても愛着を感じてます。長宗我部氏の墓にもお参りしたことあります。

でも歴史的に、事の良い悪いは別にして、やはり長宗我部家は判断を誤ったと言われても仕方ないのでは。

同じように判断を誤った島津家が江戸時代も残ったことを考えれば、運命的なものを感じてしまいます。

問題はむしろ山内家が支配してから以降、「郷士」との関係が悪化していった事に対する山内家への想いではないかと思います。

それにしても、donさんの郷土愛とでも云うのでしょうか、とても素晴らしいことだと思います。
ゲームやドラマで、歴史的敗者はいろんな描かれ方をするが、統治者として悪い人はいないと思います。僕自身長宗我部氏への認識を新たにしました。

思わずコメント書いてしまいました。
横レスごめんなさい。
Posted by ぱるぷんて海の家 at 2006年11月20日 11:11
ぱるぷんてさま

どぞ、横レスいいですよ。

いい加減なことって書いちゃいけないんですよね。
でも、書いてしまった、私。
私は長宗我部盛親のことを何も知らなかったので。
ただ、西軍について、その後の家内紛争のせいで家康に許されなかった人、だと思っていましたので。




Posted by くみ at 2006年11月20日 18:43
くみさん、こんばんは!
一豊の政策は土佐の気質に合わなかったのですね。数百年たってもしこりを残してるというのはよっぽどのことだったのですね。それにしても律義者で穏やかな一豊には信じられないくらいのことでした。

今週もTB飛びません。ここずっとseesaaとはうまくいってないの。どうしてでしょうね??
Posted by かりん at 2006年11月20日 23:21
公式サイトのあらすじにもありましたが、一豊って
これまで総大将になったことがなかったんですよね。
だから勝手がわからないまま、強引な手をとるしか
なかった…とか?要は器量の問題?

来週の一豊がどう動くのか、気になります。
(はやく自分を取り戻して~!!)
Posted by もちきち at 2006年11月21日 14:43
かりんさん

やっぱり「四国」って海で離れているからじゃないかな?と思うんですよね。
団結力が強い感じがします。

一豊も好き好んであういうことするタイプじゃないからストレス溜まったと思うんです。
だって61歳で亡くなっているんですよ!!
大大名生活も数年でエンド・・・。
もうあと数年ですよ!!!
家康のほうがその後も長生きしてる。←なんかわかる気がする・・・。

私もライブドアやじゅげむにTBできません。
最近はseesaaそのものがちとおかしいです。
コメントの反映が遅いです。



もちきちさん

>器量の問題

原作立ち読みしたら、千代にはっきり言われてましたよ。

海の向こうは勝手がわからなかった、といいうことでしょうか??
強引な手を使っても、あとあと苦しむのが一豊くんだと思います。
なんかかわいそうです。

ところで康豊くんの子、土佐藩主二代目・忠義は一豊くんと違ってかなり豪快な人物だったらしいです。
土佐の男!!!ってな感じなんでしょうかね??
 



Posted by くみ at 2006年11月21日 20:56
こんばんは!

いつもお世話になります!

あの「なーおーまーさー」は、かなりキモかったですね!

しかし家康にしても、六平太にしてもいきなりキャラが変わってしまったかのような豹変ぶりでしたよね!(笑)
Posted by 「感動創造」 at 2006年11月21日 22:48
こんばんは~
くみさんの記事を見て、特段クレームが出るような内容ではない、と僕は思いました。
長曾我部家に対して、いろいろな思いを抱かれる方(とくにご当地・高知の方)はいるのかもしれないのでしょうけども。
「一領具足」の長曾我部家に対するロイヤリティは、これは推測ですが信頼関係というか、そういったもんが厚かったんでしょうね。そうとしか言いようがない。

>私は自分が思ったことしか書けないのです。

僕たちは「学者」じゃないんで、くみさんのスタンスで全然かまわないと思いますよ。
『歴史』の細かいところ深いところは学者さんにお任せしたほうがいいと思うし。
Posted by 劇団たぬき at 2006年11月21日 22:56
感動さま

家康も六平太も『役者』ですから!!
私、六平太の年齢が気になります。
もう若くないんだから、、無理するな!!
と思います。

次回はいやなことが多そうですね。
Posted by くみ at 2006年11月22日 19:53
劇団たぬきさま

ありがとうございます!!
実は小心者なので、そういっていただけるとありがたいです。

『功名が辻』をみて山内家にいい思いを持っていなかった方々がちょっとだけ、一豊と千代のことをわかってくれたらいいな、と思います。

ほんとのところは誰にもわからないですもんね。
Posted by くみ at 2006年11月22日 19:59
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