2006年07月01日

“田辺聖子の小倉百人一首”百人一首に百のドラマ。

最近読む本ないなぁ~と思うとクラッシックに手を出します。
古典、というか「古典もの」。
古典をもとにした小説が好きです。
だから瀬戸内寂聴氏とか田辺聖子氏とか好きなんですな。
高校時代から古典は好きでした。
百人一首は上の句が出れば、下の句は出てきます←おそらく。たぶん。
古典は文法じゃないよなぁ~と思います。
内容がわかればいいんだよ!!文法、文法言ってるからよけい難しくなるんだよ!!

というわけで↓です。「田辺聖子の小倉百人一首」 


その歌がどんな場面でつくられたかわかれば、理解もしやすいってなもんです。
百もドラマがあるんだからお得(?)な感じもします。


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百人一首には母子でとりあげられてとりあげられている人たちが、2組あります。
父子もあるけど。それは置いておく。

第57番
「めぐりあいて 見しやそれとも 分かぬまに 雲隠れにし 夜半の月影」

これは「紫式部」の歌。

くみ語訳:久しぶりに会ったっていうのに、雲隠れしちゃう月のように、あなたってば早く帰っちゃうんだもの。

若干間違ってても生暖かい目で見てください。

紫式部が若い頃、女友達が遊びにきたけれど、彼女は早く帰ってしまったので、そのときに詠んだ歌。

第58番
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」

紫式部の娘「大弐三位」の歌。

くみ語訳:わたしがあなたを忘れると思ってんの?そんなわけないじゃない。

技巧の極致。

「大弐三位」は紫式部と藤原宣孝の間に生まれた娘です。
2歳くらいで父と死に別れ、13、4で母と死に別れます。
仕えていたのは母と同じ「彰子皇太后」。
彼女は後冷泉天皇の乳母に抜擢され、従三位典侍へと出世します。
母、紫式部は中宮彰子のフリーのお付だったのですが、典侍となると正式な女官です。
母の名声をうまく使いつつ、母より出世した、たいした女性です。


第56番
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」

和泉式部の歌。

くみ語訳:わたし、この世ではないところに行ってしまうわ。最後にあなたにお会いしたいわ。

この和泉式部
橘道貞との間に娘を生みます。
この頃から歌人として有名だったらしいです。
しかし、彼女は大スキャンダルを起こします。
冷泉院第三皇子・為尊親王と不倫です。
5、6歳離れた皇子と不倫・・・もてたんですな。
その後、為尊親王が急逝します。
そうしたら、今度は為尊親王の弟、冷泉院第四皇子敦道親王と恋に落ちます。
歳の差は8~10歳ぐらい??
敦道親王は4年後ぐらいに27歳ぐらいの若さで亡くなります。
すごくもてたんですな・・・。
その後、中宮彰子に仕えることとなるのです。
大スキャンダルを起こしても、彼女は才能を買われたのです。

第60番
「大江山 いく野の道も遠ければ まだ文も見ず 天の橋立」

これは和泉式部の娘、小式部内侍の歌。

くみ語訳:母は丹後におります。大江山、生野の道、天の橋立、私はその地を踏みもせず、母からの文も読んでおりません。

苦しい。これも技巧の極致。ジュニアたちは技巧に凝ってます。

小式部内侍も母と同じく「中宮彰子」に仕えました。
母、和泉式部はこの頃、藤原保昌と結婚して丹後に行ってしまいました。
その頃、宮中で歌合せがあり、彼女もその歌人に選ばれます。
彼女が部屋にいると藤原定頼という貴族が
「丹後へ使者は送りましたか?お母さんがいないと心細いでしょう」
とからかいます。
つまり、彼女の歌は、歌人として名高い母和泉式部が代作しているんだろう、と言ったのです。
それに対して詠んだのがこの歌。
「私、代作なんてしてもらってません!!」
という歌です。
彼女、小式部内侍という呼び名は、、和泉式部の子だから小式部。内侍はこれも女官です。
彼女も母の名声をうまくつかい、母より出世したんですな。
しかし、彼女は25歳ぐらいで母より先に亡くなってしまうのですが・・・。

百人一首の好きなとこだけ抜きだしてみました。



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