2006年06月30日

“ミカドの淑女”妖婦か、才女か?下田歌子。

林真理子「ミカドの淑女」です。

「下田歌子」という人をご存知ですか?

私は林真理子氏が小説化するまで知らなかったです。

2、3年前下田歌子に関するエッセイが募集され、私の友人が一般の部で大賞をとりました。
その友人は昔から、頭の回転がはやく、とくに文章がうまかったんです。
審査員は童門冬二センセだというから「さすが!」としかいいようがありません。

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さてさて「下田歌子」という人物は?

幼名「平尾鉐」ひらおせき

1854年、士族の家に生まれる。
幼い頃より、学問にすぐれ、和歌、漢詩を読み、

明治4年(1871年)18歳のときに上京。
翌年宮内省に出仕。

歌才を皇后(昭憲皇太后)に認められ、「歌子」の名前を賜る。
出仕して2年で、十五等出仕(超平)から権命婦へ昇進。

その後女子教育の道へ。

華族女学校(今でいう学習院の女子部)、実践女学校の創設にかかわる。

正四位。

↑これだけだとものすごい才女。

学習院女学部長当時、日本女性で一番の高給取りだったらしいです。

その下田歌子を襲った大スキャンダル!!

「平民新聞」(幸徳秋水主催)が連載した

「妖婦下田歌子」!!!

で、歌子にかかわった人たちは大きく揺れ動くのです。

ガセネタのなかに、誰も知らなかった真実が。

もともと、皇后に取り立てられ出世した歌子です。
皇太子妃に九条節子姫(貞明皇后)を推薦したのも歌子。
内親王方の教育係でもありました。

保身に走るものあり、内親王方のために動くものあり、若かった頃の歌子をねたむもの、思い出すもの、人さまざまです。

幸徳秋水も、読者を稼ぐためとはいえなぁ。

「妖婦下田歌子」のなかには、いま、わたしがマスコミや芸能レポーターに感じているような下衆っぽさを感じます。

肝心の下田歌子さんの出番は最後のほうになります。

さてさて窮地に追い込まれた歌子さんは!!??

この時代、そこまで出世した歌子さんはやはり才女ですが、妖婦と言われてもしかたないかなぁ。

頭がいいだけじゃ出世はできませんからな。

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posted by くみ at 20:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(文芸・評論) | 更新情報をチェックする
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