ダークファンタジーの女王・タニス・リーの作品は、「鏡の森」と、あと「闇の公子」(「平たい地球シリーズ)を読みました。
タニス・リーの作品は、好き嫌いが激しく別れるそうです。
そして、その作品群のなかでも、、「平たい地球シリーズ」は大好きだが、ほかの作品は受け入れられない、という読者もいたりして、複雑なんですね。
ま、わたしはそんなに数多く読んでないんで、なんとも言えません。
この「バイティング・ザ・サン」はタニス・リーの作品のなかでは、「異色のSF」だそうです。
確かに、ファンタジーの要素は一切ありませんでした。
アンドロイドとコンピューターに管理された、完全自給自足型ドーム都市・フォー。
人間は、貧困も病も、老いもなく、苦痛のない半永久の命を生きることができた。
外見も性別すらも、本人の趣味で自由に取り替えられ、何不自由のない生活。
着飾り、騒ぎ、破壊行動に走る若者たち。
しかし、その生活に違和感を抱く少女がいた。
思いつくかぎり、ありとあらゆることを試みる彼女。
やがて彼女は仲間内で孤立し、ある事件が起こる。
そのなかで彼女が選んだ選択とは?
まずね、世界観がすごいですね。
人間は、本質的な「性」を持ってますが、外見の「性」は取り替えることができます。
30日以上は替えた身体で過ごさねばならないのですが、それに飽きた場合、「自殺」という手段で、強硬的に身体を替えることができます。
「ジャング」と呼ばれる青年時代は個人差がありますが、50年以上。
「大人」になれば、「子ども」を持つことが可能。
食物には「避妊成分」が含まれているため、望まない妊娠はありえません。というか人間は妊娠しません。
「大人」の期間は、本人が人生や記憶に飽きるまで、その人生が永久に続きます。
飽きた場合、人格が白紙に戻され、新しい人生をやり直すことになります。
人間ってのは、自分さえ良ければ、管理された不自由のない生活を選んでしまうものだと思うんですよ(「地球へ・・・」のSD体制とかね)。
それに反発する「鬼っ子」は、排除されていく。
「体制と戦う少女」というテーマは、小説でもマンガでもわりとよくあって、それは現代ものであったり、あるいは歴史ものだったり、ファンタジー・SFであったりするんですが。
何かを見つけるためには、まず動き出さなければならず、そして動けば失敗も繰り返す。
そういう主人公の話を難解も読んだ気がします。
そういうものを、若い頃ならいざ知らず、いい歳こいた大人になってもまだ好む自分ってどうよ・・・とちょっと思いました。
主人公の立場にたって読んでしまうってのは・・・うーん・・・中身はちっとも大人ではないのか。
ま、結論は出さずにおきますが。
テーマ的には、この作品は新鮮味はありません。
しかし、文章は(訳者の力もあるが)、色彩豊かで、美しいです。
この過剰気味、難解気味な文章が、好きな人は多いでしょう。
前半のシティの人工的な色彩に、快楽を求める若者たちの描写。
後半の砂漠での自然の美しさに、ひとり、立つ少女。
自然の美しさってのは圧倒的だな、と思います。
先日の皆既日食でも思いましたが。
人工的なものも大好きなわたしですが(アニメとかアニメとかアニメとか)、あと、街は好きですが、海とか山とか苦手なわたしですが、この後半の部分を前半の部分より、美しいと思う限り、人として大丈夫なんではないか、と思います。
まとまらないまま、終ってしまえ。
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