著者・宮木あや子氏は短編「花宵道中」で「女による女のためのR-18文学賞」の大賞と読者賞を同時受賞しました。
この本「花宵道中」は、その短編「花宵道中」に、同設定の短編を加え短編連作として成り立っています。
「女による女のためのR-18文学賞」とは→こちら。
確かにね~、男性作家の小説における官能描写には
「はぁあ~????~~~」
と思うことが、たまーにあります。
どうしても必要なシーンならともかく、ストーリー上、必要のないところにそういう描写があると、幻滅します。
プロの作家さんの作品にしろ、アマの同人作家さんの作品にしろ、官能描写には、読者、誰もが・・・いや、わたしのまわりの人間(腐仲間)だけかもしれないけど、
「譲れないものがある」
ようでして・・・・・・。
「○○○○(超大御所・男性)、アレ、アホだろ!?」←暴言。
「○○○○(売れっ子作家センセ・男性)、夢見過ぎ!!」
「○○○○(実力派BL作家さん・女性)さんは文学だよな!!」
「○○○○(BL作家さん)って、アクロバットだよな・・・」←なんじゃそりゃ。
などと語り合ったりすることもあるのですが(スンマセン・・・)。
ま、女はストーリーと関係ないところで、サービスシーンのように入る官能描写はあまり好きではないんだと思います。
この「花宵道中」は、女性の方にはもちろん、男性の方にもオススメです。
可能描写がどうとかではなく、江戸の風俗ものが好きな方には、読み応えがあるんじゃないかな、と思います。
宮木 あや子
新潮社
売り上げランキング: 12187
新潮社
売り上げランキング: 12187
おすすめ度の平均: 






吉原・山田屋は半籬の小見世。
大名のような客はこないけれど、そのかわり身元怪しい客もこない。
良く言えば馴染みやすい、悪く言えば貧乏くさくて中途半端。
大層な位を持つ遊女はおらず、そのかわり不見転の遊女もいない。
特別器量がよいわけではないが、芸事が巧みで、とある身体的特徴のため、そこそこの人気を持つ女郎・朝霧。
間夫を囲って借金を重ねることもなく、淡々と客を取り、年季明けはほかの遊女よりも早い。
年季明けには、引き取ってくれる客も決まり、廓暮らしはあと一年と少し、
の筈だった。
その男と会うまでは・・・。
江戸後期、天保の頃の吉原です。
この頃の吉原にはすでに「大夫」という位はなく、廓での厳格なしきたりも崩れかけていました。
花魁言葉もすたれ、花魁道中は幕府の規制で一日一人しかできなくなっています。
半籬というのは、籬(格子)が半分しかない、ということです。
大籬(総籬)が、天井まで籬がある大見世(大店)です。
半籬でしたら、通常は中見世ということになりますが、この作品の舞台・山田屋は、中見世としての体面を保つことができず、小見世まで落ちてしまった店です。
山田屋の女郎の最高格は「座敷持ち」です。
「座敷持ち」とは、自分の寝起きする部屋のほかに、客を取る部屋を別に持っている女郎のことを指します。
花魁とは、花魁道中ができる「呼出し」「昼三」の位の女郎のことだそうです。
なので、山田屋の女郎は、めちゃくちゃ高いわけではないが、めちゃくちゃ安いわけでもない微妙な立場の女郎です。
ありがとう、「花の大江戸風俗案内」←この本、便利です。
表題作「花宵道中」の主人公・朝霧は、吉原で生まれ吉原で育ちました。
他の場所を知りません。
気位の高い姉女郎に育てられ、同じように気位が高く、吉原の世界を知り抜いているため、男に溺れるようなことはありませんでした。
例え、男と恋に落ちたとしても、上手く隠しとおせるような、そんな賢さを朝霧は持っていました。
あの時、あの男、阿部屋半次郎と出会わなければ、朝霧は女郎としては恵まれた年季明けを迎えることが出来たはずなのです。
そして、後に判明する、あの時の客、吉田屋藤衛門と半次郎の関係が、あんなものでなければ。
因縁がめぐり、あのような最後になるという伏線が、続く短編で見事に描かれています。
朝霧の妹女郎・八津が面倒を見た茜の初見世を描く「薄羽蜻蛉」
朝霧の姉女郎だった霧里と、霧里の弟・東雲、そして姉弟の父・芳之助の確執と、悲惨な巡り合せを描く「青花牡丹」
死なない、惚れないと決意した、朝霧の妹女郎・八津に訪れる恋の衝動を描いた「十六夜時雨」
山田屋の看板女郎・桂山の下についた、山田屋の将来を担う女郎・緑の秘めた想いを描いた「雪紐観音」
どこかで人物は繋がっていて、しかも名前を変えて登場することもあります。
吉原に売られた少女は、まず、下働きか禿(かむろ)になるか分けられ、器量により、女郎のもとにつけられます。
禿を引き受けた女郎は、少女の新造出し、初見世までのすべての教育と費用を受け持ちます。
だから、付けられた姉女郎によって、将来は決まったようなもので、しかも芸事や作法や、おまけに気性まで受け継ぎます。
そういう吉原のしきたりの踏まえたうえでの、伏線の張り方や設定が見事。
大見世のように格式ばっていない、どこか雑然とした小見世・山田屋は、悲しいだけじゃない、生命力の強さを秘めて描かれています。
個人的には
「あたしは此処で生きていく」
と、惚れた男に告げた八津が印象的。
Amazon.co.jp→花宵道中・花宵道中 (新潮文庫)
参加中です↓。いろいろと励ましのクリックよろしくお願いします。
人気blogランキングへ
図書館に行く途中、「ねこさまスポット」の前を通ったら大漁でした。
12月25日撮影↓。

ラベル:本