功名が辻「関ヶ原」
天下分け目の「関ヶ原」
いきなり登場の三宅アナ。
もう頭の中は「その時、歴史が動いた」状態です。
おいおい、いまから大河だろ??といった不安は途中で大当たりしました。
ドラマの途中で出てきたときにはひっくり返りました。
最初からなんですが、先にしかけたのは東軍・福島正則のはずです。
福島正則が天満山の宇喜多秀家の陣地にめがけて打ったはず・・・はず・・・??
すみません、私、パソで調べてから書く人間ではないので(アナログ人間)、記憶と資料(紙)が頼りなのですが・・・。その福島正則を出し抜いたのが井伊直政と家康四男・松平忠吉(井伊直政は舅にあたる)、のはず・・・??
福島正則の挑発も兼ねているはず・・・はず・・・??
ま、いいや。
で、一豊くんは南宮山の吉川広家、その後ろの毛利秀元に備えて配置されました。
ま、ほとんど出番はないワケです。
さて福島正則VS宇喜多秀家は大将自ら戦頭で戦ったようです。
で、笹尾山の石田三成に向かったのが、これまた三成嫌いの黒田長政。
黒田長政もまた陣頭に立って戦った、といいますが・・・。
三成は戦いのほうは島左近(二万石ですって!!)と蒲生郷舎(一万石)にまかせていたようです。
島左近は鉄砲に撃たれてしまったらしいです。
最初はかなり西軍が押していたようです。
数では西軍のほうがはるかに多い。
しかし団結力がまるで違う。
西軍で実際に稼動していたのは3万程度。
三成が島津義弘に山を降りるように催促しても、はねつけられたように、他の武将もやる気いまいちだった様子。
小西行長もやる気あるんだかないんだか??だったらしい。
そうすると、一番やる気があったのは三成と友人であった大谷吉継ということになりますか。
えと、ちらっと出た、顔を頭巾でかくしている人です。
彼はらい病(今でいうハンセン氏病)であったため、醜い容貌を見せるのは武士としてしのびないと、顔をきれいに白布で覆い頭巾を被っていたのです。
内応してんのかしないのか、はっきりしない小早川秀秋。
あのうろたえぶりは見事でした。
まだ若いのに1万2千人の大軍抱えて、プレシャーもあったと思います。
「味方はどっちじゃ!!??」←お前が決めろ!
シャーン♪は彼にすべきでしたね。
そういえば六平太は南宮山から降りてきて、一豊くんのオシリをたたき、あっというまに松尾山で秀秋のヨコにいましたが、可能なんでしょうか??
毛利軍には顔パスだったのでしょうか??
山内家大阪邸でもパスみたいですが?
老骨に鞭打って戦場に立っているのは六平太のような気がする。だって、50過ぎてるよな〜〜。
老骨といえば島津義弘は67歳です。
そういえば毛利秀元の「宰相のカラ弁当」ってでませんでね。
↑ウィキで見てください。
なかなか動かない小早川秀秋に家康、大砲で脅かします。
あの〜鉄砲では??
ま、派手なほうがいいですか。
今回は流石に人馬入り乱れて、映像的には満足でした。
途中で三宅アナ登場はいただけない!!
ある意味斬新ともいいますが。そうそう、わたくしの勝手にライバル。ロンブー淳の相方も出てましたね。
「そん通りでごわす!!」←そんだけかよ!!
ま、島津豊久はあのあと死んでますので、よし、としときます。
あ、島津義弘の
前代未聞の敵陣中央突破戦場離脱については↓の本に詳しく載っているようです。
島津奔る 上・中・下
諸事情で絶版してますが、アマゾンにはあります。さてさてすっかり家康にびびった秀秋。
正午にやっと動き出します。
襲うは大谷勢。
小早川秀秋の裏切りは、裏切りを呼び、朽木元綱、脇坂安治らが寝返り、勝敗決す。
結局一豊くんはたいした手柄をあげることはできませんでした。
出番をつくってもアノ程度。
勝ってもむなしさの残る戦場。
一豊くんの
「屍を踏まぬように〜」は、一豊らしいセリフでした。
「三成・・・」といってわんわん泣く淀殿。
あれを見て秀頼が
「ぼくのパパは三成だったの!?」と思わなきゃいいんですけど。
三成の佐和山城は炎上。一族自刃。女子の最期は「女郎墜」(←女中たちが炎に追われ崖から飛び降りた)と呼ばれております。
三成は逃げるものの、田中吉政にとらえられます。
さて、三成がなぜおとなしく捕まったか??これはきっと『功名が辻』だろうと、他の本であろうと同じだと思います。
ま、一応続きに書いておきます。違うかもしれませんが。
あ!!そうそう井伊直政が最後のほうピンピンしてましたよね。
鉄砲で腿を撃たれているはず・・・??
このときの怪我のせいで数年後に亡くなっています。
そういえば彼は「棺」で三成を演じていた・・・。
ややこしかった。
人気blogランキングへもう、ドラマレビューでもなんでもないや・・・。
さっき『太閤記』を見たら三成が上品な秀吉になっていた・・・。
続きを読む。要注意。