森谷明子氏は「千年の黙 異本源氏物語」で第13回鮎川哲也賞を受賞し、デビューしました。
この「白の祝宴~」は「千年の黙~」の続編にあたります。
酒井順子氏によると、国文学好きは「清少納言」好きと「紫式部」好きに分かれるらしいです。
「枕草子」好きと「源氏物語」好きに分かれる、と。
わたしはどちらが好きか?と問われたら「枕草子」と答えます。
ちなみに、わたしは国文学をちゃんと学んだことはなく、「枕草子」も「源氏物語」も原文をちゃんと読んだことはありません。
だから、わたしの好みは現代語訳した作家さんに大きく左右されております。
でも、現代語訳が多いのは圧倒的に「源氏物語」の方が多いですからね~。
「源氏物語」の現代語訳は結構読んでますよ。
瀬戸内寂聴センセがおしゃってますが、「大抵小説を書く女は性格が悪い」んだそうで・・・。
性格が悪いというか、紫式部が「湿」な性格であることは確かだと思います。
田辺聖子センセは小倉百人一首の紫式部の歌
「めぐりあひて 見しやそれとも 分からまに 雲がくれにし 夜半の月影」
をあげて、紫式部は文学を語る同性の友人が多かっただろうとおしゃっています。
なるほどなるほど。
この作品↓「白の祝宴 逸文紫式部日記」は、紫式部の「湿」の部分と、文学サークルの一員のような部分とが、よく表われていると思います。
病の為に宮仕えを辞していた紫式部は、彰子中宮の懐妊を機に、再度出仕することとなった。
上がるは、藤原道長の屋敷、名邸土御門邸。
懐妊、出産と慶びに沸く祝宴の裏で、不穏な事件が起こっていた。
藤原彰子は、入内、立后、皇子出産、院号宣下とすべてにおいてあやかりたい吉例とされた女性です。
時の権力者、道長の娘として生まれたこと。
一条帝に入内し、中宮として冊立されたこと。
二人の皇子を産んだこと。
二人の皇子が、二人とも帝となり、二代の国母となったこと。
なにもかもに恵まれた女性といってよいのでしょう。
しかしなんといっても印象に残るのは「かかやく藤壺」ですよ。
贅を尽くした調度と、才女たちが仕え、殿上人がこぞって集った華やかな彼女の御座所はそう呼ばれました。
それまで、皇后定子の住んだ登華殿や職の御曹司が華やかでしたが、皇后は若くして亡くなり、内裏の中心は彰子の住む藤壺へと移ったのです。
清少納言が皇后定子を賛美し、そのひととなりやその暮らしぶりを綴ったのが「枕草子」
それと対をなすものが「紫式部日記」なんでしょう。
「紫式部日記」は、紫式部とならぶ平安の才女たちを、彼女自身が評していて、そればかりが有名な気がしますが。
あれですよ。
清少納言は、利巧ぶって漢字を書き散らかして、高慢ちきな嫌な女だ。
和泉式部は、口先だけですらすら歌を読むが、品行上問題がありすぎる。
赤染衛門は、人柄も立派だ、歌も立派だ。
ってやつね。
当時の「日記」というものは、「他人が読むこと」が前提で書かれています。
紫式部は、「源氏物語の作者」というだけで人目につきがち。
だからこそ常に「控えめに控えめ」にをモットーとしていた女性です。
漢籍だってもちろんバリバリに読めますが、漢字の「一」の字でさえ読めないフリをしたというくらい。
それなのに「日記」に同じ女房たちの評を書く・・・。
ちょっと、そこのところがわたしもひっかかったことがありまして。
この作品を読んだら、そのひっかかったところは解消されましたよ。
紫式部が、同僚・和泉式部と語る部分は、女学生の文学サークルのような印象を受けます。
お互いの才能と教養の深さへの尊敬の念と嫉妬とを感じます。
「紫式部日記」は、中宮彰子に使えた女たちの、衣装から噂話から係累を事細かに連ねてあり、資料的価値はあるが、「おもしろくない・・・」んだそうです。
しかし、そうやって描かれていることで、女たちの名前は残っている。
決して表舞台に出ることを許されない女たちが、長い年月この日記を書き写し残してきた。
「あなたの名前は千年残る」
女たちが紫式部に託してきたものを思うと、胸が熱くなるのです。
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